末期ビザンティン建築も建築的関心は修道院建築にあったが、そのほとんどは既存教会堂の増築・改築であった。この際、外部にナルテクス(廊下状の前室空間)か礼拝に供された通路状の建物が回され、ポーティコ(列柱のある玄関またはアーケード)付きの正面を形成することが多く、この形状はヴェネツィアからもたらされたのではないかとの指摘がある[30]。
ポーティコ付ファサードは、教会堂以上に住居建築に採用され、コンスタンティノポリスのポリフィロゲニトゥス宮殿(現テクフルサライ)にもこの形状が認められる。12世紀後期と考えられるこの宮殿は、3階建てでテオドシウス2世の城壁の間に建設され、中庭に面した北側と城壁に連続する南側にポーティコ付正面が認められる。
テッサロニキは、パレオロゴス朝初期に繁栄し始め、首都での停滞期の間も修道院に付随する建築活動が活発に行われた。そのため、末期のビザンティン建築を知る上で重要な建築物がいくつか残っている。1315年創建されたハギイ・アポストリ教会堂、同時代かそれより早い時期に建てられたと思われるハギア・エカテリニ教会堂は、ともに典型的な四円柱式内接十字型の教会堂であるが、三面がドームを頂く吹き放しのポーティコ状廊下で囲われ(現在では吹き放しではなく、ガラス戸が嵌め込まれている)、その四隅にドームを架けている。教会建築における、このような周歩廊の機能ははっきりせず、首都では墓所に使われたようであるが、テッサロニキではそのような機能は認められない。
1262年に東ローマ帝国に移譲されたミストラには、ミストラ型と呼ばれる教会堂が建設されている。パナギア・オディギトリア聖堂(アフェンディコ聖堂)はブロントシオン修道院の中央聖堂として使われ、その後ミストラに建設された教会の模範となった「ミストラ型」の最初のモデルで、1階は円蓋式バシリカ平面を持つが、2階は内接十字型平面を持つ特殊な形式である。13世紀にバシリカとして建設されたアギオス・ディミトリオス聖堂は、15世紀にミストラ型として改修された。
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ビザンティン建築は、ユスティニアヌス1世の時代における宮廷の建設事業によって急速に開花した。この時代の建築事情は、プロコピオスの『建築について』(De aedificiis )や現存する建築物、ハギア・ソフィア大聖堂やハギイ・セルギオス・ケ・バッコス聖堂、ハギア・エイレーネー聖堂などによって知られる。アーキトレーヴや柱頭に彫り込まれた植物装飾によって構造体からの独立性を強調するような、特徴的な細部のデザインもこの時代に確立されたものである。バシリカ型の教会堂では身廊と側廊を分離するために独立円柱が一定の役割を果たしていたが、ドームとバシリカのプランが融合されるに従って、構造体としての役割は角柱にかわり、オーダーはそこに付け足された装飾の一部としてしか機能しなくなった。ギリシア起原であるにも関わらず、中期以降のビザンティン建築では、オーダーはほとんど消滅することになる。
ビザンティン建築の構成
ビザンティン建築には多様なプランが認められる[31]が、以下の形式は全て教会堂に関してのものである。世俗建築がいかなる形式で、いかなる機能を有したものであったかは、初期の段階ではローマ建築とほとんど違いがないということ以外はわかっていない。これは、ビザンティンの俗建築がミストラ以外にはあまり残っていないことによる。ミストラの建築も多くはフランク人によって建設されたもので、これをビザンティンの世俗建築一般とみなすことは難しい。
バシリカ
すでに初期ビザンティン建築の項で説明した通り、初期のキリスト教徒は礼拝用建築物の雛形としてローマ建築のバシリカを採用した。このタイプの教会堂は、長期間に渡って広い地域で建設され続けた。いくつかの種類が認められ、代表的なものとして、身廊に高窓を持ち、木造小屋組みの屋根が架けられる「ヘレニスティック・タイプ」と呼ばれるバシリカがある[32]。ラヴェンナのサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂やサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂などがこれにあたる。大規模なものになると、旧サン・ピエトロ大聖堂、ルーマニアのトロパエウム(6世紀)、アギオス・デメトリオス聖堂、ピリッポイのバシリカBなどのように、トランセプト[33]を構成するものもある。
ビザンティン建築のバシリカ式として最も一般的なタイプは、身廊部分に トンネル・ヴォールトを架けた側廊のない、いわゆる単廊式バシリカで、「オリエンタル・タイプ」と呼ばれ[34]、12世紀にいたるまで建設され続けた。これはアルメニアの初期キリスト教建築などを起源とし、カッパドキアの岩窟修道院はこの流れを汲んでいる。